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でも,この情報の持つ属性としては私の個人情報であることになります。
実は個人情報の権利主体というものは,非常にあやふやなものです。それが誰のものであるのかを決めること自体,非常に難しいというのが現実です。「個人
情報は誰のものか」という問いかけは,問題解決のための手順として用いるのであれば,その有用性に疑問があります。
鈴木 「プライバシーの権利」に関しては従来から「自己情報コントロール権」として捉えるべきであるという説がありますが,これはプライバシーに係る情報は本人に帰属するという考え方によるものですね。
夏井
自己情報コントロール権という考え方は,その情報の権利主体がいることを前提として,ある種の財産権的な捉え方をしない限り成立しません。しかし,現実に
は特定の個人情報とその情報主体とが一致していないことがしばしばあるので,その意味では,その両者を一致させることを前提とする自己情報コントロール権
というスキームは最初から破綻していることになると思います。少なくとも民間部門の一般法としての個人情報保護法においては採ることが難しい考え方です
ね。
私は,以前から「デジタルデータ化されないで放っといてもらう権利」というものを提唱しています。本人に断りなく勝手にデジタル化されることを禁じる場
合もあるという考え方なのですが,自己情報コントロール権的な考え方よりも,情報へのアクセスのブロックになり,かつ,情報の帰属主体が本人であるという
ことに囚われずに理論構成できるという点でいいのではないかと思っています。
鈴木 仮に自己情報コントロール権を肯定的に捉えるとしても,それが機能し得る範囲というものは,1995年あたりから急速に狭まってきているのではないかと思います。 |
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自己情報コントロール権が提唱されたのは汎用機中心のコンピュータ産業の黎明期でした。それがインターネットの普及で情報ネットワーク社会に大きく変容したことで,その時代背景の下で支持された理論も一気に賞味期限が迫ってきてしまったのではないかと思います。
確かに自己情報コントロール権は,人格権侵害に依存しないという意味で本人救済に資する面も有していますが,情報を管理する名宛人がいてはじめて具体化
し本人救済が実現される権利です。インターネットの普及とP to
Pのような技術の出現,ユビキタス社会の到来によって,もはや主役の座から1歩引いてもらわなければならなくなった。目に見えないネットの住人達を相手に
する,1対nの世界は,誰もがコントロールできないのですから自己情報コントロール権に実効性を期待すること自体とても空疎な感じがします。
少なくとも民間部門では,自己情報コントロール権の妥当する領域が日増しに縮小しているというべきかなと思います。自己情報コントロール権を私人間にお
いても適用すべきだという意見もありますが,やはりその適用範囲は,公的部門などの実益のあるところに限定すべきではないでしょうか。
もし,そういう状況にあるという認識が正しいとしたら,今は自己情報コントロール権に変わる新たな理論が求められているのかもしれません。その意味でも
夏井先生が様々な場所で発言されている「デジタル化されずに放っておいてもらう権利」という考え方には,非常に興味をもっておりました。いずれ論文におま
とめになるのかもしれませんが,本日はその一端だけでもご紹介頂ければと思います。
夏井 実際にはかなりの部分が自己情報コントロール権と同じになると思うのですけれども,本人の情報を勝手にデジタル化することが許されないという意味では,自己情報コントロール権よりも強化されていると思います。 |